More you might like
フィーバーが研究に起きるときがある。典型例は25年前の高温超伝導、今起きている山中iPS。大勢のひとが気になることがある。しかし、どうしようもない。ところがそれが突破される。「それならこんなことができるのでは?」。皆が堰を切ったようにそれぞれの新たな研究を始める。
posted at 08:18:12フィーバーが続くうちに「研究の大陸」が姿を現してくる。アフリカ大陸にリビングストンが行ってビクトリアの滝を発見したように、大小さまざまな発見が新大陸の地図を作っていく。
posted at 08:22:36高温超伝導の時、日本では最初に東大工学部からニュースが発せられた。世界でも実質的にはそうだった。全世界がすぐにフィーバーに陥った。しかし、日本では研究をしてみようという若手にストップを掛けた教授たちが多くいた。iPSでも同じことが起こった。研究を止めることはできなかったが・・・。
posted at 08:28:15研究を止めようとした人たちの言い分は「ひとのやっている流行の研究に飛びついてはいけない。ひとがやっていないオリジナリティのあることをやれ!」という意味だったと思う。25年後の私の結論。そういう時はタイムシェアで両方やってみる。3ヶ月だけやってみる。3日間だけやったこともあった。
posted at 08:46:05皆が飛びつく新大陸。それが十分大きいとビクトリア滝だけでなく、キリマンジャロやサハラや色いろな発見があり、それぞれに1つの学問領域が拓かれていく。「人間は荒野を目指す」。荒野は発見されたばかりのアフリカ大陸にもあるし、自分が取り組んできていたこれまでの領域にもあるかも知れない。
posted at 08:51:17新研究領域は時折「What’s big?」と自問自答してみるといいと思う。自分がこれまで取り組んできた目の前の対象にその荒野が隠されていそうかどうか。自問自答を自分に突きつけないと「重箱の隅をつつく研究」が始まってしまう。私の研究人生では4つの大陸に分け入ってみた。
posted at 08:57:39今年の私のまわりでの大きな問題の1つはボトムアップの研究とトップダウンの研究の区分けであった。大学の研究者は「研究は自由にやりたい」という意識を有する。この意識がない人は研究者に向かないと私は思う。しかし、力のある研究者は「社会の付託に応える研究」にも食指を動かすように思う。
posted at 09:04:01学問の自由、研究の自律性を守るための日本の研究費は科研費である。菅首相の裁断で30%増額となった。年度を繰り越せるよう基金制も採り入れられた。その意味で今年は科研費にとって画期的であったと思う。私は科研費3倍論者である。申請4人のうち3人がもらえることが望ましい。今は1人だ。
posted at 09:09:53研究者の数をきちんと把握することは難しい。特に大学の先生は全員が研究者のようにも見える。20万人ほどの自らを研究者と称する人のうち6万人が科研費を申請する。充足率は4分の1未満である。こうして残り3人が研究者ではなくなっていく。私の3倍論はここから来る。人件費は既に払われている。
posted at 09:15:16米国や欧州では教授を募るとき競争的研究資金を取ってきてくれる人かどうかを判定基準にするケースが多い。自国に見つからなくても海外から採用する。日本では「うちの大学は残念ながら一流のひとが応募してくれません」と云って最初から諦めているケースが多い。教授選考の方式と科研費とは関連する。
posted at 09:20:247人の看板教授をその領域で集めればCOEが作れる:アリゾナ大学方式は世界の標準モデルの1つだ。7人を集めるにはスカウトマネーだけでなく家族のケアまで科長にそのお金と権限が任される。それができなければ諦めるしかない。日本は中途半端なことを成功の見通しなくやっているように見える。
posted at 09:35:01シンガポールは一人当りGDPアジアのトップ。人口500万人に不釣り合いな立派で大きな大学や病院、研究所。「東京23区の大学の学生はほとんど23区外からの留学生でしょう。「地域」と考えたらダメです。世界の超一流にし、英語を公用語にすれば自然と人は集まります。何かに特化して超一流。」
posted at 09:49:31
良い経験になった、という言葉で、人はなんでも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。今、僕がやっていることは、ただ経験すれば良いだけのものなんだろうか。

